SMMAクロストークセッション

09FE109藤島奎

イベント表を一通り見て、気になったものがあった。イベントナンバー2番にあたる「SMMAクロストークセッション」と言うものだ。どうやら仙台市天文台と仙台市博物館がクロストークをするようだ。だが、よく考えてみると天文台に博物館の方が来て、話すイメージがなかなか思いつかない。そう思う一方で「天文学」と「歴史」がどう繋がるのだろうかという強い興味もあったので、このイベントへ行くことに決めた。 そして日曜日、愛子駅を降りて30分程歩き天文台へ到着した。まずはここで1枚記念に写真を撮っておく。館内に入り左へ行くと、イベント会場である加藤・小坂ホールがすぐ見える。ここでさらに1枚写真を撮りいざ中へ。ちょうどイベントが始まるところだった。 「天文学の今と昔」という題のイベントはご当地の武将、伊達政宗のことから始まった。そこで最初に触れられたのは政宗の兜だ。政宗の兜には前面に弓状のものが付いているが、あれは月(旧暦2~3日の月)を表現しているようだ。その月は戦のために工夫して取り付けられている。これは政宗が右利きであるため、刀を振り上げた際に当たるのを防ぐ必要があったからだという。 また政宗の父、輝宗の治世を記した巻物の中の両界曼陀羅図は宇宙を表し、これは密教の影響であるという。古美術では陽を金、陰を銀で描くことが主流だったようだ。ただ中には陽を赤で表すものがある。これは春の黄砂の時期の太陽を表現しているようだ。このように絵と天文学は深い繋がりがある。 「天文学」と「歴史」が最も大きな繋がりを持つものが「暦」である。日本には7世紀、中国の僧によってもたらされた(太陰太陽暦)。これ以降、遣隋使や遣唐使、遣渤海使などにより大陸から進んだ知識を輸入、国内でも陰陽道などの学問が発達し、200年あまりで3回の改暦 を行った。しかしその後、遣唐使の廃止、朝廷の衰退のため862年の改暦を最後にしばらく改暦は行われなかった。その当時、一般庶民の間では、帚星は疾病をもたらし、日食は不吉とされた。イスラム教では今でも「太陽が魔物に食べられる」ものとして日食はタブーである。 改暦が再開したのは江戸時代に入ってからだ。当時西洋では、コペルニクスやケプラー、ガリレオが活躍していた頃である。西洋の進んだ天文学の知識が幕府に影響を与えたのだろう。幕府は4回の改暦を行い、天文方という役職も新設した。吉宗治世以降は、キリスト教以外のものについて学問の輸入を解禁したため、より西洋の進んだ知識が入ってくることになった。1834年には反射望遠鏡が国内で完成し、その翌年には黒点の観察に成功した。この時、黒点の情報がまだ西洋から入って来ていなかったが、鍛冶職人が発見したというのだらか驚きである。この19世紀初頭は日本の天文学が大いに発展したと思う。日本も当初は天動説であったがこの頃、司馬江漢によって地動説が広められた。また木星のしま模様や土星の輪、月のクレーターが細かく描かれた絵も残されている。 今回のイベントでは「天文学」と「歴史」とのパイプの太さを強く感じ、また人々が宇宙に懸ける興味や関心は昔から変わっていないのだと思った。天文台にはまだまだ見ていない所がたくさんある。それらは次回天文台へ行くまでの楽しみとして取っておきたい。


11番

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銀河系の星々というイベントにも参加した。このイベントはイベントナンバー20の場所から少し奥へ行ったどころで行うようだ。15時半からこのイベントは始まる。イベントの行われる場所へ向かうと、そこには大体2m四方のボードが置いてあり、その上には針金のようなものが無造作に刺さっている。その針金の先端はBB弾位の大きさの玉がくっついていた。何をするのだろうと待っていると、係員の方が色々と道具を持ってきた。 15時半になる。ボードの周りを数十人の参加者が取り囲む。係員の方が説明を始めた。目の前にある針金の先端にある玉は星を表しているらしい。ボードの中心部分をよく見てみると太陽がある。針金の位置は太陽からどれだけ離れているかを表している。このイベントは去年から行っているようで、一回のイベントにつき一つの星の模型を作っていく参加式のイベントとのことだった。今回はハッサレーという星の模型を作るらしい。ぎょしゃ座に属している星だという。どの様になるのだろうかと思っているうちに作業は始まった。 まず太陽から見てどの方向に針金を立てるのかを決めなければならない。これは私の隣に立っていた婦人が担当した。そして方向を決めると次は太陽からどれだけ水平距離で離れているかを定める必要がある。距離を測ったらその部分にピンを刺す。これを終えると針金の長さを決める作業になった。この星は太陽よりも高い位置にあるので、針金の長さも同様に太陽よりも長い。長さを決めると針金を切断し、その先端に小さな玉をボンドで止めるのだが、その前にもう一つ作業がある。ボードに刺さってある玉をよく見てみると色塗りがされている。これは、その星の温度を表しており、温度の高い順に青、赤、白というように色分けされている。色塗りが終わるとボードに刺して完成である。このイベントで私が行った作業は距離を測ってピンを打つことと、針金をペンチで切断する二つだけだったが、こうして自分の携わったものが形として残っていくのは嬉しく思う。 改めてボードを見てみると、同じ星座を形成する星でも、それぞれ太陽からの距離はバラバラである。例えば同じオリオン座を形成する星であっても、太陽から500万光年離れているものもあれば700万光年離れているものもある。 また係員の方の話の中でなるほどと思ったことがある。カシオペア座を地球でみるとwの形に見える。しかしこれを仮に水星や天王星で見ても全く同じに見えるとは限らないということだ。カシオペア座=wの形というイメージが定着していた私にとって、その発想はなかった。宇宙は広いのだと再確認した一方で星座も不思議なものだなと思った。


13番

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一つ目のイベントが終了したので、二つ目のイベントに向かった。天文台の三階に上がると1.3m望遠鏡観測室がある。次のイベントはそこで行われる「1.3m望遠鏡案内」である。部屋に入ると早速、望遠鏡の説明が始まった。その部屋の中には言うまでもなく望遠鏡があるのだが、思いの外室内は寒かった。これは望遠鏡の能力を最大にするための工夫のようだ。観測の際部屋の天井が開くのだが、このとき室内の温度と外気の温度に差があると、空気の揺らぎがおこり、綺麗に天体を見ることが出来ないらしい。同様の理由で、観測の際は室内に入ることが出来ず、観測室の隣の部屋から望遠鏡を操作するようだ。 天井部分は先述のとおり開くようになっている。たいていの所では天頂部分までしか開かないことが多いようだが、仙台市天文台では180度まで開くようになっている。 現在の天文台は昨年開台した。それまでは西公園にあったようだ。現天文台にあるコンクリートで出来た望遠鏡の台座は錦が丘の岩盤にまで、深く突き刺さっている。天文台本館とこの台座の間にはわずかな隙間があり、厳密には繋がっていない。これは望遠鏡が振動に弱いためだ。仮に本館が揺れることがあっても望遠鏡にその揺れが伝わらない仕組みになっている。特に仙台は地震が多いので、揺れにはシビアである。天文台独自の地震計も設置されている。いかに望遠鏡がデリケートなものであるのかを改めて思い知らされた。 この仙台市天文台の望遠鏡で特筆されるのが「1.3m」の特大の凹面鏡が使用されていることである。そもそも凹面鏡は平面鏡に比べて光を焦点に集めることに長けている。平面鏡では光を反射させても明るくなるだけだが、凹面鏡では物を映し出すことが出来る。とはいえ、小さな凹面鏡では観測に不十分である。そこで、より光を集め対象を鮮明に見るため直径「1.3m」の凹面鏡を設置したようだ。しかし残念なことに、この大きさの凹面鏡を日本では製造することが出来ない。現在天文台にある凹面鏡はロシアの職人に特注で作ってもらったようだ。この凹面鏡のおかげで17等星まで観測することが出来る。対象を人に変えると、大体東京駅にいる人の顔をも見ることが出来るらしい。 望遠鏡を早い段階で使用していた人物にガリレオ・ガリレイが挙げられる。ガリレオは木星の衛星や太陽の黒点観測など様々なものに望遠鏡を活用した。晩年彼は両目を失明してしまう。これは太陽の直視が原因といわれている。しかし彼のおかげで太陽を直接見てはいけないという、今では当たり前のことがわかった。誰も行ったことのない初めてのことの結果は誰にもわからない。私達は先人たちの失敗によって学ぶことが多々ある。失敗は恐れてはいけない、ということ望遠鏡を通して先人たちから教えられるようである。


20番

09FE109 藤島奎

今回で天文台に行くのも二度目になる。前回来た時は、時期の割には暖かい日であったが、この日は吹雪だった。さらに今回は一人で行ったため、写真撮りに苦労しそうだと思いつつ天文台へ向かった。天文台へ到着し、前回同様ここで一枚撮ろうと思う。天文台の中に入ると、悪天候にもかかわらず、多くの人々が来ていた。高校生の数が若干多いように感じられた。 早速、イベントの方へ移る。まずはイベントナンバー20に行ってみた。前回の来場の際、予定に組み込んでいたのだが、時間の都合上見る事が出来なかった。このイベントは展示室の奥で行われていた。そこには椅子が置いてあり、その前には画面があるのみだった。一体これは何なのだろうか、とおもいつつ椅子に腰を下ろした。画面には横に一本の線が映し出されており、そこに西暦がふってあった。画面の前がちょっとした台になっているのだが、そこには小さなダイヤルが付いていた。早速、そのダイヤルをゆっくりと回してみた。ダイヤルを時計回りに回すと、どんどん過去に年表が進んでいき、逆に回すと2000年あたりまで進む仕組みになっていた。そして大きな出来事があった年にダイヤルが合うと横軸の上に「フランス革命」「日露戦争」などと文字が浮かび上がってきた。私はひたすら、ダイヤルを時計回りに回していった。画面には日本史や世界史で習ったような単語が出ては消えていった。宇宙が誕生してから137億年と言われている。こうして見ていくと、太陽が誕生したのがおよそ46億年前なので、宇宙の長さの三分の一にも満たない。更に地球に生命 が誕生してしばらくがたち、ヒト属が出現したのは約200万年前であるので宇宙史の中で一瞬に過ぎない。ましてや有史時代となると一瞬どころでは済まないだろう。そもそも宇宙が生まれて137億年というが、全く想像がつかない。ヒト属が出現したのが約200万年前。それすら果てしなく遠い話だ。137億年の長さを考えるなど気が遠くなりそうだ。ふと思った事がある。仮に七夕で願いを叶えるためには織姫と彦星のいる天の川までその願いを届けなければいけないとしよう。光の速さでも片道20万年かかる。返事をするにも20万年かかることになる。つまりその願いを叶えてもらうには40万年かかるのか。こうして考えると宇宙のスケールの大きさは桁違いだと思う。 それと同時に、人類は驚くべき速さで進化と発展を遂げていったのだと改めて感じた。一方で驚くべき速さで地球の資源をも使っているのだと思うと、もっと地球の資源を大切にしていかなければいけないと思う。ダイヤル一つでいろいろ考えさせられた。